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そのときはコダックのE200、フジのRMSをともにISO640相当で撮影して、ISO800として現像処理しました。個人的には今なお現役?のE200のほうが良いように感じました。
冬の蒸機らしい白煙には大いに救われました。なお、色合いから多分今回のカットがE200、前回のカットがRMSだと思われます。 陸羽東線 南新庄-長沢 (1999年;二枚とも)
新庄からの復路は運転時刻が夕方から夜にかかるということで、ISO1600はあたりまえ機種によってはISO6400もというデジタル一眼レフ全盛の今とは違いって一般的には増感してもISO800位がせいぜいで走行写真の撮影は難儀しました(今なお銀塩な自分は今でもそうですが・・・)。
陸羽東線 南新庄-長沢 (1999年)
往路最後はR13をくぐった先の上り勾配と思われるところで・・・かろうじて煙が出てくれました。
陸羽東線 長沢-南新庄 (1999年)
トンネルを抜けると・・・
陸羽東線 長沢-南新庄 (1999年:二枚とも)
本当はトンネルの先まで行きたかったのでした。
今回のカットはちょっと趣向が変わっていますが、数年前に友人達と写真展を行った際のものです。スキャンと加工をしてくれた友人に敬意を表してそのまま・・・というか、このカットは自分でスキャンしてませんでした(^_^;。
舌の根が乾かぬうちにまたもや間が開いてしまいましたが・・・先週末に更新しようとしたところノートPCのディスプレイがブラックアウト(>_<)。バックライトの駆動回路基板のコネクタ脱落が原因でしたが、端子のピッチが細かいので自宅では半田付けが出来ない(半田吸い取り器と実体顕微鏡が必須)ので対応が遅くなってしまいました。
話を戻しましょう。サミットの堺田を過ぎると下る一方なので駅の発車くらいしか煙は期待できないので次のカットは長沢を過ぎたことろでした。もっとも、本来考えていた場所ではなく雪に阻まれ前進を断念した結果で・・・
陸羽東線 長沢-南新庄 (1999年)
またもや更新の間が空いてしまいました(^_^;
さて、その後の堺田駅までの間は人ごみに混じって現役当時の定番大谷川鉄橋で撮ったカットもあるのですが・・・後から行ったための場所の制約もあるのでしょうが私にはいまいちピントきませんでした。あえてノートリミングにしましたがスクエアフォーマットくらいがちょうど良かったのかなぁ。
陸羽東線 中山平温泉-堺田 (1999年)
前日のカットはこの先のベスト?ポジションに入れなかったための苦肉の策で、ここでのメインカットは広角でした。これはこれで良かったのかもしれません。
陸羽東線 中山平温泉-堺田 (1999年:二枚とも)
小鉄橋の先の林を抜けた姿も雪に霞みました。 陸羽東線 中山平温泉-堺田 (1999年)
中山平温泉駅の先の小鉄橋も降雪の中、こちらは蒸機までの距離が近い分マシではありました。 陸羽東線 中山平温泉-堺田 (1999年)
さて、「フラッシュバック・・・」に戻ります。
このときの定番こけし館俯瞰は雪による視界不良であえなく撃沈、大深沢橋からのトンネル飛び出し俯瞰(考えてみるとここで撮影したのはこの時だけ)も冠雪して絶好のコンディションだったにもかかわらず5分前にホワイトアウト(T_T)、かろうじて煙が見えるだけでした。 陸羽東線 鳴子温泉-中山平温泉 (1999年)
年が明けて少々間が開いてしまいましたが、今年も当ブログをよろしくお願いします。
さて、新年最初の更新はくりでんと決めていたのですが、どのカットを使うか迷いぬいた末に正月からなんですが(^_^;、ここ10年来のメイン機材であり撮影範囲を広げてくれたF5(1代目)とサンニッパ(1代目)に敬意を込め、そのラストカットとしました(ちなみに年賀状はラス前だったりします(^_^;;;)。
くりはら田園鉄道 沢辺-大岡 (2007年当時)
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