夕方、定番の場所で順光ということは・・・当たり前なんですが気づいたときは心の中でガッツポーズでした。もっとも、その分レンズには厳しい条件な訳で、もっと良いレンズで撮りたかった場所でもあります。 磐越西線 徳沢-豊実(二枚とも:2001年)
ここまで来ると日も山陰に落ちて終了です。最後は定番のこの場所でしょうか。これまで何度この地に立ったか判りません。
50系の最後の秋には今では考えられないことですが前夜から泊り込んだこともあります(もっとも、このときは前々日の早朝に着いたら一人のオジサンが三脚を三本立ててカメラ10台位だったか?で場所を占拠していたこともあったのですが・・・ちなみに占拠された日は雨だったかで結局列車はウヤでした(^_^;)。
このカットを撮った日も川霧が出ていました。磐越西線 徳沢-豊実(1999年)
上野尻の先の定番というと徳沢でしょうか?この日は暑くて風が無かったためか貨物列車が通過する頃には川霧が立ち込めてきました。
その後はこんな感じに・・・川霧の爆発というと只見線が有名ですが磐越西線でも見られますね。 磐越西線 徳沢-豊実(上の二枚:1999年)磐越西線 豊実?-日出谷?(下の一枚:1999年)
更新が滞って申し訳ありません。先週今週と仕事でトラブルが多発してヘロヘロな状態です。
それはさておき話を元に戻すと・・・野沢を過ぎると磐越西線は国道49号線を2度アンダーパスするわけで、勿論そこは編成写真にはうってつけの撮影地な訳ですが、何故かいい光線状態でのカットを撮っていませんでした。その先では下のようなカットを撮っているわけですが・・・うーむ、今となっては勿体無かったかもしれません。 磐越西線 野沢-上野尻(1999年)
荻野を出た列車は再び川を渡ります。このときは運良く水鏡となってくれました。
野沢の近くには蕎麦畑が広がっている場所がありました。最近はトンとご無沙汰なので判りませんが今でも作られているのかな? 上:磐越西線 荻野-尾登(2001年)下:磐越西線 尾登-野沢(2001年)
山都から荻野に向かうお手軽定番の中の1つであるこの場所は、普通縦位置で撮ると思うのですが、いつも35mmフォーマットの3:2では収まりの悪さを感じてました。そこで、1:1にトリミングしてみましたが微妙・・・かな。4:3か5:4くらいがベストなのかもしれません。
磐越西線 山都-荻野(二枚とも:2000年)
そして鉄橋、”後追いサイドギラリ”がお約束と思いますが、この時期の太陽は真正面なので今ひとつかなぁ。 磐越西線 喜多方-山都(二枚とも:2001年)
慶徳峠を下って来たところを山都の鉄橋の手前でシュート。貨物列車は瞬く間に通り過ぎてしまいました。そうそう、勿論追っかけて撮ったわけではありません。
磐越西線 喜多方-山都(二枚とも:2001年)
朝の貨物が一段落した後は、仕事の休みが土日ということもあり「SLばんえつ物語」に転戦することが多かったです。「ばんもの」の下りは追いかけても野沢の手前までに留めて喜多方に戻る頃には夏とはいえ日が西に傾きはじめます。その中を貨物列車は駆け抜けていきました。 磐越西線 喜多方-山都(三枚とも:2001年)
広田で折り返す列車が発車する頃には暑さで?積乱雲も発生、”そうなら!”というわけで列車自体は潰れますが季節感を優先して入道雲モクモクメインでの撮影となりました。そうそう、このときはあまりの暑さに友人たちと喫茶店に駆け込んだのを覚えています。 磐越西線 広田-会津若松(一枚目:2000年)磐越西線 堂島?-笈川?(2,3枚目:2000年)
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